日本遺産 「鮭の聖地」の物語~根室海峡一万年の道程~

令和2年度日本遺産認定について

標津遺跡群伊茶仁カリカリウス遺跡

根室管内の1市3町(標津町・根室市・別海町・羅臼町)連名で申請書を提出した、地域の歴史文化のストーリー『「鮭の聖地」の物語~根室海峡一万年の道程~』が、令和2年6月、文化庁主催の日本遺産に認定されました。

日本遺産とは

野付半島

日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として文化庁が認定するものです。
ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的としています。

「鮭の聖地」の物語~根室海峡一万年の道程~

ストーリーの概要

鮭山漬寒風干しの様子(別海町)

北海道最東の海、根室海峡。この地では、遥か一万年の昔から、絶えず人々の暮らしが続いてきました。その支えとなったのは、大地と海とを往来し、あらゆる生命の糧となった鮭です。毎年秋に繰り返される鮭の遡上という自然の摂理の下、当地では人と自然、文化と文化の共生と衝突が起こり、数々の物語と共に、海路、陸路、鉄路、道路という、根室海峡に続く「道」が生まれます。一万年に及ぶ時の流れの中で、鮭に笑い、鮭に泣いた根室海峡沿岸。ここはいまも、人と自然、あらゆるものが鮭とつながる「鮭の聖地」です。
関連資料

日本遺産 「鮭の聖地」の物語に関するお問い合わせ窓口

構成文化財の内容に関すること
窓口:標津町ポー川史跡自然公園
電話:0153-82-3674(平日9時~17時)
メール:po-gawa@shibetsutown.jp
日本遺産を対象とした観光に関すること
窓口:標津町エコ・ツーリズム交流推進協議会
電話:標津町役場内0153-82-2131(代表)(平日9時~17時)
メール:eco-t@shibetsutown.jp

ストーリーを伝える構成文化財の一例

羅臼町松法川北岸遺跡出土品

根室海峡は、古代から国境とは無縁の交流の舞台となり、文化風習の異なる人々が絶えず往来を重ねていました。古代北方文化のオホーツク文化の人々もその一つで、最盛期には根室海峡から千島列島を北上し、カムチャッカ半島周辺の北千島にまでその活動範囲を広げていました。
羅臼町の松法川北岸遺跡出土品は、オホーツク文化の人々の暮らしぶりを理解できる資料群で、特にヒグマの頭を精巧に模した容器をはじめとする木製品の数々は圧巻です。
このほか、根室市弁天島遺跡から出土したオホーツク文化資料も、日本遺産構成文化財となっています。

根室市ノッカマフチャシ跡

チャシ跡は、中世から近世にかけての頃、道内各地に暮らすアイヌによってつくられた施設の遺跡です。祈りの場、談判の場、戦いの砦など、時代と共に様々な役割を担ってきました。チャシ跡が残されている場所は、多くが交通の要所にあたる場所で、根室海峡沿岸ではほとんどのチャシ跡が河川河口付近で海に面してつくられています。当地域では海を交通路としたネットワークが築かれていたようです。

野付湾の打瀬網漁(別海町)

明治30年以降、根室海峡沿岸の鮭鱒漁は、天然魚の資源減少により不振が続きました。鮭に代わる新たな資源を模索する中で開発されたものの一つに、ホッカイシマエビ漁がありました。その始まりは、現在根室の地酒北の勝で有名な碓氷勝三郎の缶詰工場が、鮭不良期の新たな缶詰原料として、エビの活用に成功したこと頃に遡るといわれています。
野付湾のエビが生息する海底にはアマモが群生していますが、水深が浅く、動力船はスクリューにアマモが絡まり使えないため、昔ながらの帆船での漁が行われています。
例年夏漁は6月中旬~7月中旬。秋漁は10月中旬~11月上旬に行われています。

旧奥行臼駅逓所(別海町)

明治30年以降に鮭鱒資源が減少した際、水産業の多角化と共に図られたのが、内陸に広がる広大な根釧台地の開拓でした。人々の初期の内陸への移動を支えていたのが、駅逓所と呼ばれる施設でした。まだ徒歩での移動が主流だった時代に、人馬継立と宿泊機能を備えた施設として駅逓所は整備されていました。駅逓制度はやがて、殖民軌道や国鉄標津線へと発展し、根釧台地開拓の支えとなっていきます。
旧奥行臼駅逓所は、駅逓所建物が現存する数少ない文化財です。
このページの情報に関するお問い合わせ先
標津町 ポー川史跡自然公園TEL:0153-82-3674