―カンナン・カムイ― 千島列島を作った大男

 むかし、むかし、千島列島は現在にように島の数は多くなく、シュムシュ、ポロモシリ、シムシリの三つしかありませんでした。そのころ「コタン・ヌ・クル(国を治める人)」という半神半人(神と人との中間の人)の神がいました。
体はそれはそれは大きく、頭は空をつらぬき、足は海の深い所へつけても、海水はやっとひざにとどくといったありさまでした。彼は海の上に大きな筏をうかべ、日用品をのせて、いつも腰をかがめてひっぱり、島から島へと渡っていました。そして、ときどき大きな土の塊を手にとって海中に投げこみ、島を次々に作りました。こうして、現在のような千島列島ができてきました。
その中でウショシルという島は、コタン・ヌ・クルが作った島ではなく、シュムシュ、ポロモシリ、シムシリのように大むかしからあった島ではありませんが、古くに作られた島です。
ウショシル島は雷神カンナン・カムイが、自分の住まいにしようと、天でこの島を作ってそっと降ろしました。それで、この島のことを「カムイ・カル・モシリ(神が作った島)」ともいいました。小さい島で、大きい木は生えていませんが、ヒースや草原、またちょっとした山も作って、眺めもよく住み心地のよい島でした。トドやカモ、エトピリカなどの海獣や鳥がこの島に好んで集まりました。カンナン・カムイはこの島に住みこんで、ずっとこの地域一帯を守っていました。
ある日、カンナン・カムイが守っている地域のアイヌがおおぜい舟に乗り、そろって漁にでかけました。シコタン島のボレ岬をまわろうとした時です。突然に目の前の海水がもり上り、巨大な鯨が顔を出しました。巨大な鯨は、それはそれは大きな口をあけて舟に向かってきました。みんなは恐ろしさのあまり、ただふるえているだけでしたが男の人達は気をとりなおし、カンナン・カムイに助けをもとめました。
必死になって声をはりあげ、カンナン・カムイに頼みました。でもカンナン・カムイはその時、ウショシル島の住まいで気持ちよくぐっすりと寝こんでいて、男たちの声では起きませんでした。
次に、少し気をとりなおした女の人が声をそろえて叫びました。あらんかぎりの力を出して、大声でカンナン・カムイをよびました。カンナン・カムイはやっと眼をさまし、起き上がってエムシュ(剣)をとるとすぐにかけつけてきてくれました。
さすがに巨大な鯨もカンナン・カムイにはかないません。エムシュ(剣)で切りつけられて、大あわてで逃げ出しました。
おかげで舟にのっていたおおぜいのアイヌは救われ、無事に港に帰ることができました。みんなカンナン・カムイに感謝し、いっそう信仰するようになったということです。
カンナン・カムイは人間によく似た姿をしており、男女がいて、アイヌとまったく同じ布製の服を着ているということです。

鳥居龍蔵全集 第5巻 朝日新聞社 「考古学民族学研究・千島アイヌ」(大正8年)より

  • 解説
鳥居龍蔵氏は、坪井正五郎、小金井良精らと共にわが国の人類学の基礎を築いた人です。小学校中退の学歴でしたが、人類学、語学、和漢の書物にくわしく、各大学の教授、研究員をつとめ、国際的なスケールの業績を残しました。活躍の場は、中国、東蒙古、朝鮮、沿海州、台湾など東アジアの地域が中心でした。
明治32年、千島アイヌの人類学的調査に出かけ、北千島から色丹島へ移住したグレゴリ氏らを助手として旅行し、伝説も15話ほど聞きとります。そのうちの二つの話を一つにまとめて書きました。
「考古学民族学研究・千島アイヌ」は東京帝国大学理科大学紀要に、大正8年フランス語で発表されたものです。
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