―チャチャ岳の神話― ワシと熊の戦い

 お天気のよい日に、根室地方の海岸から国後島をみますと、ずっと奥の方に(根室からは右の方に)国後島で一番高いチャチャ岳がよく見えることがあります。
チャチャ岳は、アイヌ語で「チャチャ・ヌプリ」。「お父さん・山。または親爺・山」の意味で、敬意をこめた名前です。

 チャチャ岳のふもとは、大昔から大森林でした。みごとな木がびっしり生え、鳥や獣がこの森林を住み家としていました。鳥も獣も大昔から仲よく暮らしていました。
チャチャ岳の神様は、鳥や獣を守るために、アイヌがこの森へ入って狩をするのを一年に二回しかゆるしませんでした。みんなは、三回森へ入ると神様の罰があたって命をとられると信じて、約束をしっかり守っていました。
森林に住むたくさんのワシは、国後島の北にあるエトロフ島までえさをとりに行っていました。日ぐれには、群れをなしてチャチャ岳のふもとにある自分達の巣をめざして帰ってきました。
アイヌの人々は、海岸の絶壁の岩かげにかくれていて、ワシの群れが帰ってきて巣にもどる途中を、ブシという毒をぬった矢をつかって射止めていました。アイヌは矢を使うのがじょうずで、ねらわれたワシはのがれることはできませんでした。
この猟は、ずっと続いていました。
ワシの大将は、仲間が少しずつ毒矢で倒れるので、人間に対していつも腹を立てていました。
ある日、ワシの大将はたまりかねて、一族を集めて相談しました。
「仲間がつぎつぎと人間にやられてしまう。人間から仲間を守るにはどうしたらよいだろう?」
「ワイワイ」「ワイワイ」
「ガヤガヤ」「ガヤガヤ」
みんなはいろいろ考えました。でも、なかなかいい考えがうかびません。・・・・・・
・・・・・・
「大将!チャチャ岳の神様の使いの熊さんに相談してみてはどうでしょう。」
「そうだ!そうだ!」
「それはよい考えだ。」
みんなもうなづきました。
ワシの大将は、さっそく熊さんに相談に行きました。
「それは気の毒じゃなあ、仲間がずっとやられていたとは。よし!おれがみんなのかたきをとってやろう。まかせなさい!」
熊さんは、大きい手で胸をどんとたたいて承知しました。
熊さんはさっそく海岸の崖のところに行き、アイヌがかくれる場所をしらべました。そして次の日からは、かくれ場所で待ち伏せしてアイヌを襲い、森へかついで行き、ワシといっしょに食べてしまいました。こうして毎日毎日、熊さんはアイヌをたおしたので、人間は一人もいなくなりました。
ワシのためにということで、熊さんは毎日人間をたおしたので、食物に困ることはありませんでした。しかし、人間が一人もいなくなると、すっかり困ってしまいました。人間を食べる習慣がついたのに、食べるものがなくなってしまったからです。
熊さんは、あまりにもおなかがすくので、こんどはワシがえさをとりにエトロフ島に行っている留守に、ワシの巣にのぼり、ひなをかたっぱしから食べはじめました。
ワシは留守の間に、ひなが誰にとられるのかわからなくてふしぎがりましたが、熊がひなをとるのをつきとめました。熊はチャチャ岳の神様の使いで味方をしてくれたと思っていたので、ワシの大将はびっくりしました。
ワシの大将は、また仲間を集めてどうしたものかと相談しました。またいろいろ考えたすえ、オスのワシだけがエトロフ島へえさをとりに行き、メスのワシはみんな巣に残っていることにしました。
何も知らない熊さんは、またワシのひなを食べようと巣のある大木によじのぼりました。まちかまえていたメスワシは、いよいよきたと声高く叫んで仲間に知らせました。
叫び声を聞いた何千羽というメスワシは、これは大変と八方からとんできて、かわるがわるにするどい口ばしで熊をちく、ちくと突っつきました。
さすがの熊さんも
「まいった、まいった。やめてくれ!」
といいましたが、とうとう木からまっさかさまに落ちてしまいました。それでもメスワシの口ばし攻げきはまだ続きました。
熊は、命からがら必死でチャチャ岳の奥へ逃げて行きました。
そこでもまた神様に叱られたということです。

「根室・千島両国郷土史」(昭和八年)本域文雄編より

  • 解説
 この話は、「根室・千島両国郷土史」に「鷲と熊の物語―爺々山の神話」として書かれているものです。話者、筆記者は不明です。国後島のチャチャ岳付近は、現在自然保護が徹底していて、熊が大へんふえているということです。流氷の時期には、国後島から知床半島へ、大ワシが数多く飛んでくることは有名です。熊と同様、繁殖しているのでしょう。
アイヌ民話には動物が主人公の話がたくさんあります。
このページの情報に関するお問い合わせ先
標津町TEL:0153-82-2131