1.名称 薫別小中学校 沿革史
2.内容
西暦 和暦 歴史
1897 明治30年11月22 小学校設置許可
1898 明治31年3月26日 校舎建築許可
1898 明治31年5月19日 校舎竣工
1898 明治31年5月19日 標津村立薫別尋常小学校開校式(通学区:崎無異より古多糠)
1898 明治31年5月19日 教育勅語謄本下賜
1902 明治35年9月30日 教員宿舎、生徒寄宿舎(20坪)増築工事落成
1904 明治37年4月14日 補習科設置
1904 明治37年9月8日 教室8坪増築完成
1907 明治40年4月4日 歌唱科加設
1908 明治41年2月1日 補習科廃止
1908 明治41年4月1日 尋常科6年設置
1910 明治43年5月16日 手工科認可
1910 明治43年10月4日 裁縫科加設
1912 明治45年5月7日 裁縫科廃止
1914 大正3年4月1日 裁縫科加設
1914 大正3年 陛下御真影下賜
1916 大正5年 両陛下御真影下賜
1918 大正7年10月4日 両陛下御真影奉還
1921 大正10年10月5日 桜2本、学制発布記念として植樹
1923 大正12年10月2日 暴風のため校舎飛散
1924 大正13年5月10日 大風雪で校舎破損、1週間の休校
1924 大正13年11月9日 皇太子殿下下賜のから松植樹
1926 大正15年5月10日 御大典祝賀旗行列
1926 大正15年12月 新校舎着工
1927 昭和2年4月18日 新校舎落成
1928 昭和3年5月25日 御大典記念植林
1928 昭和3年11月1日 両陛下御真影下賜
1928 昭和3年11月10日 旗、提灯行列
1929 昭和4年4月 寄付によりオルガン設置
1931 昭和6年 両陛下御真影奉還
1936 昭和11年7月 校舎移転、グランド拡張
1936 昭和11年9月 御真影奉安殿
1936 昭和11年 校門校柵建設
1936 昭和11年12月20日 創立40周年記念式典挙行、校旗・校歌ができる
1940 昭和15年9月1日 2学級編成認可
1940 昭和15年 紀元2600年学芸会
1941 昭和16年4月1日 薫別国民学校と校名が変わる
1946 昭和21年 高等科設置
1947 昭和22年5月1日 標津中学校薫別分校を薫別小学校に併設
1947 昭和22年8月13日 PTA結成
1947 昭和22年 中学校設置を陳情
1947 昭和22年 校舎増築委員会設置
1948 昭和23年3月15日 標津中学校薫別分校校舎落成
1949 昭和24年3月6日 PTA小中一本化
1949 昭和24年 子供郵便局開設
1949 昭和24年8月31日 校舎修繕
1950 昭和25年4月1日 中学校独立
1950 昭和25年5月15日 繁忙休業
1951 昭和26年5月29日 小中合同道路清掃班編制
1951 昭和26年12月4日 小学校夜警団組織
1952 昭和27年7月28日 中標津にサーカス見学
1952 昭和27年9月14日 村内小中合同運動会
1952 昭和27年9月26日 駆虫薬(サントニン)全員飲用
1952 昭和27年12月15日 寄付によりラジオ設置
1953 昭和28年11月3日 校舎改築(住宅分離)
1955 昭和30年11月1日 本構創立記念日として、村内小中絵画展覧会を開く
1955 昭和30年12月25日 僻地集会所(体育館)を設置
1956 昭和31年5月10日 学校林植林
1956 昭和31年8月30日 屋内体操場映写室完成
1957 昭和32年1月30日 インフルエンザ大流行(臨時休業4日)
1957 昭和32年5月23日 ニシン大漁のため休校
1957 昭和32年12月10日 小学校開校60周年記念式典挙行
1957 昭和32年12月22日 60年式典で初めてピアノ購入
1958 昭和33年11月24日 校舎屋根トタン張りになる
1960 昭和35年10月16日 グランド拡張
1960 昭和35年11月11日 管内放送研究大会
1961 昭和36年5月14日 テレビ受像器購入
1961 昭和36年5月20日 グランド周囲に30本の桜植樹
1961 昭和36年6月27日 教室増築
1962 昭和37年2月28日 校舎全焼
1962 昭和37年5月12日 新校舎完成
1964 昭和39年5月21日 オリンピック記念桜植樹
1965 昭和40年2月 猛吹雪で校舎屋根飛散
1965 昭和40年4月1日 浜古多糠地区通学区域となる
1965 昭和40年5月13日 子供貯金、札幌郵政局長賞
1965 昭和40年5月25日 鼓笛隊編成
1965 昭和40年7月28日 STB「伸びゆく僻地教育」で全国に紹介される
1965 昭和40年11月5日 粉乳、クラッカー給食開始
1966 昭和41年6月5日 バックネット再建工事完了
1967 昭和42年5月22日 理科用ビニール温室建設
1967 昭和42年5月26日 グランド東側花壇拡張
1967 昭和42年9月8日 薫別港着工祝賀パレード
1967 昭和42年 中学校特別室(理科室、音楽室)できる
1968 昭和43年11月23日 小学校70周年、中学校20周年記念式典挙行
1969 昭和46年 水産教育始まる
1970 昭和45年3月13日 文集「はまっこ」第1号刊行
1970 昭和45年5月31日 水産クラブ交換会
1970 昭和45年11月4日 水産クラブ交換会
1971 昭和46年11月3日 体育館増設
1971 昭和46年 石油ストーブ設置される
1972 昭和47年5月4日 ナナカマド20本植樹
1972 昭和47年5月27日 海洋少年団結成
1972 昭和47年6月12日 子供貯金、札幌郵政局長賞
1972 昭和47年10月14日 管内複式教育研究会開催
1973 昭和48年4月13日 英語外国人講師発来校
1973 昭和48年 気象観測百葉箱設置
1974 昭和49年12月19日 新校舎増築第一期
1975 昭和50年 子供郵便局札幌郵政局賞受賞
1975 昭和50年 新校舎増築落成
1975 昭和50年 ランチルームシステムによる完全給食始まる
1976 昭和51年7月12日 子供貯金の表彰を受ける
1977 昭和52年7月29日 シンボルポール完成
1978 昭和53年9月13日 全道僻地教育研究大会会場校として公開 
1978 昭和53年 80周年記念事業として、国旗掲揚柱2基設置
1979 昭和54年3月18日 薫別小学校80周年、中学校30周年記念式典
1979 昭和54年10月19日 理科センターより「コメット号」来校
1980 昭和55年6月11日 校庭に大オンコ移植
1980 昭和55年9月29日 校内秋季マラソン、国道に熊出没のため延期
1981 昭和56年10月7日 水産室、改修工事により拡張
1981 昭和56年 職員室拡張
1982 昭和57年5月12日 親子対話室(父親参観日)
1982 昭和57年6月11日 フラワーポット学級花園づくり
1982 昭和57年7月9日 漁業愛護協会表彰
1983 昭和58年5月30日 中庭のビニールハウス完成
1983 昭和58年6月16日 NHK教育TV「ひろがる教室サケを育てる」全国放送
1984 昭和59年11月9日 管内僻地複式研究大会
1986 昭和61年3月15日 式歌完成「白い帆をあげて 新井理津子作」
1987 昭和62年11月30日 「サケの蒲鉾」TV、新聞で報道
1988 昭和63年1月30日 水産紀要「薫別川を見守って」完成
1988 昭和63年7月17日 全校登山(羅臼岳)
1988 昭和63年10月31日 中学生水産交流学習(歯舞中)
1989 平成1年6月10日 中庭に豆リンゴを植樹
1989 平成1年6月13日 山菜(ふき)採り授業開始
1989 平成1年6月25日 運動会にフォークダンス登場
1989 平成1年7月9日 全校登山(斜里岳)
1989 平成1年7月20日 サイベストの筏で薫別川くだり
1990 平成2年2月16日 北方領土学習研究会
1990 平成2年12月5日 屋内体育館暖房設備設置
1991 平成3年5月2日 給食室食器まな板消毒器設置
1991 平成3年10月30日 定置網おこし見学
1992 平成4年 中1教室床補修
1992 平成4年7月14日 グランド土入れ
1992 平成4年11月16日 コンピュータ3台設置
1993 平成5年1月6日 給食室床張り
1993 平成5年1月29日 機械警備設備工事完了
1993 平成5年7月25日 地引き網おこし体験
1993 平成5年10月8日 管内僻地複式研究大会(会場校)
1994 平成6年5月 カナダ孵化場職員来校
1994 平成6年7月24日 地引き網おこし体験
1994 平成6年9月21日 トンネル工事見学
1995 平成7年5月10日 檜の机、いす導入
1995 平成7年 サケを通じてカナダとの交流始まる、アン先生来校
1995 平成7年7月23日 サケ地引き網おこし体験
1995 平成7年8月9日 技術室、理科室床修理
1995 平成7年12月3日 町ミュージックフェスティバルに参加
1996 平成8年3月4日 梅木道雄文庫できる
1996 平成8年5月16日 サクランボ記念植樹
1996 平成8年6月28日 ホエールウオッチング
1996 平成8年 ビザなし交流にてロシアの生徒来校
1996 平成8年7月11日 NHKユメディア号体験学習
1996 平成8年7月14日 中学校屋根、水飲み場屋根工事
1997 平成9年7月11日 根室管内道徳教育研究会
1997 平成9年8月25日 男子用トイレ改修
1997 平成9年10月8日 交通安全街頭キャンペーン実施
1997 平成9年10月9日 トンネル壁画づくり
1997 平成9年12月26日 学校表示塔設置
1998 平成10年2月 スキースノーボード授業開始
1998 平成10年3月 サケシンポジューム発表(カナダバーノン市の子供と交流)
1998 平成10年12月 日本学生科学大賞 道教育長賞受賞(中学校)
1999 平成11年12月 日本学生科学大賞 読売新聞社賞受賞(中学校)
2000 平成12年8月 屋内体育館屋根葺きかえ
2000 平成12年12月 日本学生科学大賞 読売新聞社賞受賞(中学校)


1 小学校設置許可
小学校番外地に在り命じ25年頃より日蓮宗僧侶日暮玄静私塾を開きところを当村教育の始めとす。明治30年11月22日尋常小学校設置許可。同5月校舎28坪新築落成19日開校式を挙げる。「郷土地誌雑纂・薫別村より」
   日暮玄静は小学校が設置されてからもしばらくは代用教員として「読み」「書き」を教えていたようです。なお、寺子屋は明治26年に日蓮宗僧侶土屋完秀により「日蓮宗薫別説教所」となっています。「薫風に育まれて−薫別小学校100年記念誌より」

2 小学校建設
明治31年3月26日に校舎建築許可となり、その年5月19日に竣工し、開校式が開かれました。校舎建築費418円22銭(当時の教員の俸給2年分くらい)全部通学区域内有志の寄付によるものでした。材木は近くの山から切り出されたもので、川をせき止めておいて一気に流す水の勢いを利用した「鉄砲流送」と呼ばれる方法で薫別川を利用して運ばれてきたそうです。わずか2か月足らずで竣工したこの校舎建築からは開拓初期の地域を形成してゆくエネルギーと教育への期待が感じられます。「薫風に育まれて−薫別小学校100年記念誌より」

3 教員住宅・生徒寄宿舎
明治35年9月30日に工費325円をかけて教員住宅及び生徒寄宿舎が増築されました。10才くらいまでの小さな子どもにとって片道4キロほどの雪道は危険を伴います。寄宿舎のおかげで冬の通学の危険と苦労はなくなりましたが、小さな子どものこと、親元を離れて寂しくて泣いたことがあったかもしれません。「薫風に育まれて−薫別小学校100年記念誌より」

4 補習科
小学校は4年で卒業したが、明治37年に補習科が設置され、卒業後さらに2年間学ぶことができるようになりました。しかし、当時は教員の数が少なく(1名)自学自習が多かったようです。この補習科は明治41年に尋常科6年となるまででした。「薫風に育まれて−薫別小学校100年記念誌より」

5 暴風雪
大正13年5月30日未明ヨリ吹雪ナリシガ次第ニ大暴風トナリ午前6時頃ヨリ屋根飛散シ始メ同7時頃ヨリ校舎倒壊ノ恐レアルヲ御影ヲ奉遷シ一時避難セリ、直ニ役場へ急報セシニ11日ニ藤田書記出張大工及び屋根職人招集シ修繕方ヲ命ズ、其ノ間1週間休校セリ「沿革史より」
 
当時の建物は板張、柾屋根であったため、学校、民家ともに被害が大きかったようです。毎年春には強風が吹きますが、昭和34年4月6日の大風(突風)も被害甚大でした。

6 開校40周年
昭和11年12月20日、薫別小学校開校40周年記念式典が盛大に行われました。40周年を意義あるものにしようと、奉安殿・校門・校柵をつくって環境を整えました。また、式典で校歌を声高らかに歌い上げようということで、校長先生のおじが「荒城の月」の作詞者である土井晩翠と同郷であったことから作詞を依頼し、工藤富次郎先生に曲をつけていただきました。こうして、現在も歌われている、すばらしい校歌ができたのです。校旗は、寄付金によって、旗づくりの業者とデザインを話し合ってつくりました。

7 薫別中学校開校
戦争が終わり、学校の制度も変わりました。それに伴い、昭和22年1月29日に学校長富田末太郎が新制中学校の設置に関して根室支庁に陳情し、昭和22年5月1日に標津中学校薫別分校が薫別小学校に併設されました。しかし、中学校の校舎を浜古多糠に建設する案があり、薫別ではPTA(初代会長佐藤行男氏)と校舎増築委員会(会長南豊作氏)を結成し、薫別の地に中学校を設置するよう努力しました。その結果標津村小異区委員会で薫別に設置することが決定され、今の中学校の基となりました。この時、薫別、崎無異合わせて15万円の寄付を決めましたが、10円札、100円札の時代の巨額の寄付は当時の人々の熱意を示すものです。分校として開校した薫別中学校も昭和25年4月1日より標津村立薫別中学校となり現在に至っています。

8 ニシン休校
沿革史に昭和32年5月「鰊大量のための休校」とあります。40年ほど経た今ではとても考えられないような休校理由です。もっとも今ではニシンの群は見たくとも見ることはできませんが…。おおらかさの中に「子どもの労働力」という時代のきびしさも感じる。「漁繁休業一週間」です。

9 校舎全焼
昭和37年2月9日の北海道新聞夕刊が報じた記事です。「薫別小中学校が全焼『標津』8日1時15分ごろ標津郡標津町薫別小中学校、(校長頼富忠義氏・小学生57人、中学生41人)から出火、地元消防団や地元民がかけつけて消火にあたったが、木造平屋建て延べ528平方メートルの同校舎(普通教室6・管理室1と屋体)151.8平方メートルを全焼して同2時30分頃消えた。なお生徒は出火と同時に避難したので、全員無事中標津所で原因を調べている。」薫別小中学校が全焼した。薫別岳にも校庭にも一面に雪が残っている。燃え落ちた校舎の跡には何も残っていない。黒い大地を焦がした校舎の跡を子ども達は無言で眺めている。その瞳は、さみしさでいっぱいのようだ。力の限りを尽くして運び出したピアノとテレビが、雪の上に置かれている。学舎を失った子供らは、お寺や神社、そして薫別ふ化場にわかれて勉強することになったのである。これらの建物は、ふだん人が住んでいないので荒れ放題である。2月の寒さは身を刺すようである。ストーブに薪をいっぱい入れて燃やしても、少しも体が温まらない。あったかい校舎が欲しいと…子供らは寒さにかじかむ手をさすり、指を伸ばす。思い起こせば火災がにくい。もう決して火災をだしてはいけないのだ。誰もが心に誓ったのです。「武田和雄編郷土の歴史『薫別』より」

10 サケのかまぼこ授業
採卵受精後のサケの有効利用を考え、トバや薫製を作ってきましたが、この年初めて「かまぼこ」作りに取り組みました。最初は、生臭いと生徒に不評でしたが年を重ねるごとに上手になり、創意・工夫あふれる様々なかまぼこができました。このかまぼこを発展させ「ソーセージ」も作るようになり、96年(平成8年)の「標津町鮭料理コンテスト」では、4位の成績をとりました。先輩から受け継がれた成果が実りました。
(鮭料理コンテスト参加生徒 三船由美子・三船菜穂子・佐沢真由美)












3.写真・図版

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