1.和名 イトウ
2.科目
3.学名 Hucho perryi
4.地方名
5.アイヌ語名
6.英名 SAKHALIN TAIMEN
7.ロシア名
8形態・生態
「肩に担いだけれど尻尾が地面を引きずった」など、かつて大きなイトウを捕ったとい う体験談は尽きません。 詳しく聞くといずれの話もまだあちこちに豊かな森林が残っていた1960年代前半 (昭和30年代後半)の標津川など道東の川での出来事です。  

イトウは、日本の淡水魚の中で一番大きくなると言われています。最大のものは、元九州大学教授だった木村清朗博士が記録として残しています。昭和12年の秋、十勝川の千 代田堰堤で捕れたという体長7尺1寸(2.15メートル)、体重7貫目(約26キロ) というものです。この記録は当人が実測したものではなく、捕獲したふ化場の職員から聞 いたものです。体重と体長の関係をみると異常に痩せた、干物のようなイトウだったこと になります(通常の健康な体長2メートルのイトウなら体重は90キロ前後と推定されま す)。

日本最大のイトウの記録は、生きていたものとするなら餓死寸前という特殊な状況 におかれていたようです。 では、元気はつらつな体長2メートル級の超大物は実在しないのでしょうか。川の食物 連鎖の頂点にいる、魚食性で、長命という特質を持つこの魚なら生息環境が整えば可能性 は十分あると私は思っています。ただし、標津を含め、今の北海道の自然環境ではその大 きさにまで育つのは不可能と言い切っていいでしょう。 理由は、えさの量と棲みかの広さが関門になるからです。具体的に検証しますと、かつ てしばしば大物が捕れた標津川では、30年前から体長1メートルを超えるイトウは捕れていません。この川は下流域を直線化したため、淵が浅くなり、大物が生活できる場所が なくなってしまいました。また、直線化すると川全体の流れが速くなります。イトウのえ さになるウグイ、ワカサギなど流れがおだやかな場所で群れをなして生活する小魚が激減 していることも大きな要因と考えれられます。

1990年以降に全長1メートル20センチ台の大物イトウが捕れた記録があるのは、 斜里川(92年)と石狩川水系空知川の上流にある金山湖(95年)です。二ヶ所とも上流域に産卵環境が保全され、下流域は蛇行して流れ、深い淵や湖がある(あった)環境です。 北大水産学部の施設では、23年間イトウを飼育した記録がありますが、飼育場所が狭 い池だったためか体長は90センチほどにしか育っていません。青森県の鯵ヶ沢にある民 間の施設では、大きな池で11年間飼育した結果、体長1.09メートル、体重16キロ にまで育てたことがあるそうです。私の経験でも、大きな水槽で育てれば、魚はより早く、 より大きくなります。大きなイトウが生息するには大きな容器(蛇行した川や湖)が必要 と言えるでしょう。

1999年、環境庁はイトウを絶滅危惧種に指定しました。今の北海道の状況では、川 という限られた環境で生活する彼らは、大きくなれないばかりか遠からず絶滅する可能性 が高くなっています。標津川は現在、稚魚が全く捕れない状況ですので、上流域の産卵環 境を保全する必要もあります。 昔から生息していた、魚を食べて生きている川の生態系の頂点にいるイトウが現在もい るということは標津川とその周辺の自然の仕組みがうまく回転していると評価できます。 反対に、絶滅したとなるとその原因の究明を急ぐ必要があります。イトウの存在は、私た ち人間の生活が豊かに続いていると理解できる一つの目安だからです。

クジラ、トド、アザラシがいて11種類ものサケ科魚類(多い順にシロザケ、カラフト マス、サクラマス、ギンザケ、アメマス、ベニザケ、サケマス、マスノスケ、オショロコ マ、ニジマス、イトウ)が生活している根室海峡は、今も豊かな海です。しかし、内陸側 を見ると標津川のイトウとその周辺の現状は豊かとは言えません。皆さんの知恵と力でイ トウが生きていける川、そしてそれを支える河畔林をもっと豊かに育てたいものです。
9.利用

10.メッセージ

11.写真・図版


12.参考図書
13.著者 筆者名 : 小宮山 英重
連絡先 : 標津サーモン科学館
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