1.地名 | チプルー |
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2.読み | チプルー |
3.解説 |
(コイトイ) 標津町の南辺、野付湾内の西北隅に茶志骨川が流れ出していて、その川は古くはコイトイ・ペッ(川)と呼ばれていた。その川の下流は細い砂丘を隔てて、ずっと海岸線と並流しているのであるが、川口から約1q上がった処がコイトイで、昔は番屋があった処という(メナシ七ケ番屋の一つ)。 コイトイというのは全道一円の海岸線にあった地名で、例えば稚内空港のそばの声問(こえとい)もその一つである。苫小牧市東郊のコイトイは小糸魚(こいとい)と書かれていたが、今では小糸井と書き、一部は前略して糸井になっている。 川尻が海岸線と並行して、間が砂丘である処、或いは湖と海の間がずっと砂丘で隔てられている処にあった地名。語義は少しはっきりしないがコイ・トゥイkoi-tuye(波が・破る・切る)らしい。大時化(しけ)の時、海波がその砂丘を越えて打ち込んで来るような 場所の名であった。東蝦夷日誌が「コイトイ。名義、風波がある時此処波越るの義」と書いたのはその意味である。 同書は「チフルウ。コエトイベツ入口。川深くして遅流。此処内より外えわずか百間ばかり(約180m)、船を曳越に宣し」とも書いた。アイヌ時代は丸木船で、短い距離なら、担いだり、曳いたりして陸地を通した。ここは行って見ると、川と海の間の、狭い、低い砂丘上であるそこに住んでいたアイヌは、そうやってすぐ海にも、また川から野付湾にも気楽に出れた。このチフルウは、チプ・ルchip−ru(船・の道)の意。 |
4.地図 | 工事中 |
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5.参考文献 | 「メナシ地方のアイヌ語地名―標津を起点として―」山田秀三 (昭和62年7月12日(日)に標津町教育委員会が開催した山田秀三先生の文化講演会を基にしています) |
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