1.地名 標津郡
2.読み シベツグン
3.解説
〔近代〕
明治2年〜現在の郡名。明治2年国郡制設定により根室国の1郡として成立。江戸期のネモロ場所の一部地域にあたる。当郡の大半は、台地状の原野で、標津川が東流し、根室海峡に注ぐ。郡名は標津川にちなみ、根室海峡にそそぐ最大河川沿いの地であることによる。明治2年開拓使の管轄、同15年根室県、同19年からは北海道庁に所属。なお、明治2〜4年は熊本藩、同4年は仙台藩に分領支配。同9年第25大区4小区となり、郡内には標津村・伊茶仁村があった(北海道志)。同10年のアイヌの戸数25・人口116(同前)。同12年根室・花咲・野付・標津・目梨・国後・得撫・新知・占守郡役所、同18年からは根室・花咲・野付・標津・目梨・国後・得撫・新知・占守・色丹郡役所の管轄。同24年の根室・花咲・野付・目梨の各郡を含む戸数4405・人口1万6731うち男9278・女7453(徴発物件一覧)。同30年根室支庁、昭和22年からは北海道根室支庁管内のうち。大正12年目梨郡の忠類村・薫別村・崎無異村・野付郡茶志骨村を編入し、二級町村の標津村が成立する。当郡の開発は漁業からはじまり、まず海岸地帯に移住者をみた。昭和初期には当郡にも許可移民が入植。昭和6〜7年内陸部では冷害による大凶作が発生。同6年より国鉄標津線敷設着工。同13年竣工。この開通により内陸部の生計も安定しだす。同21年中標津村を設置。同25年中標津村に町制施行。同30年野付郡別海村の一部地域を中標津町へ編入、同33年標津村に町制施行。当郡は現在標津町・中標津町の2か町がある。当郡の昭和50年の世帯数7416・人口2万6513。
4.地図 工事中
5.参考文献 角川日本地名大辞典1北海道 上巻
標津町百科事典 / 標津地名の由来 /  /  /  /
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