1.地名 根室海峡
2.読み ネムロカイキョウ
3.解説
北海道の東岸と国後島との間にある海峡。長さ約130q。古くは野作(えぞ)海峡(地名辞典)とも呼ばれ、北口はルルイ岬と知床岬で幅70q、南口は納沙布岬と国後島のケムライ崎で、幅は37q前後。水深は南口部では20〜30mだが、北部では次第に深くなり北口中央部では2400mを越える。海峡の中央部にあたる国後島の南西端と野付岬の間が約15qと最狭部になり、可航水路の幅は4q、水深は5〜10mとなっている。
天明6年には幕府の東蝦夷地探検隊の官船神風丸が国後からの帰途、この海峡で遭難し標津の港に漂泊した。漁業は1〜3月の間は結氷、流氷で不可能となるが、明治期には青森、岩手の雇入漁民、次いで富山・石川両県の出身者がこの海峡に入漁し、明治20年には根室地方はサケ漁業を中心に水揚高では石狩と並んで全道で最上位となった。大正期には沿岸漁業の衰退にかわってサケ・マス漁業が重視され、沿岸9か所に孵化場が設置された。昭和期以降はタラ漁が進展し、一部は択捉海峡にまで出漁し、羅臼港がその基地としての役割を持つ。大正2年には日本郵船が函館〜網走間の定期補助航路をこの海峡に開設。昭和20年9月にはいわゆるマッカーサーラインが設定され、同27年に廃止されるまで納沙布と知床岬を結ぶ沿岸3海里に操業が限定された。この海峡ではまた遭難と拿捕が相次ぎ、冬から春にかけての出し風と呼ばれる羅臼岳からの北西風が多くの海難をもたらし、昭和34年には数十隻の漁船が遭難した。また領海について、ソ連の沿岸12海里、わが国の領海3海里の主張の中で、昭和21年6月に拿捕第1号が発生し、昭和58年2月までにこの海域での拿捕数は93隻、556人(羅臼町史)にのぼった。しかも昭和52年7月以降は国際海洋法の規制により操業水域はさらに縮小されている。戦後は道外船によるイカ釣り漁業が急増したほか、スケソウダラ刺網・延縄漁業も盛んとなり、知床半島の漁民はコンブ・ウニの採貝採藻にも従事している。海峡部でのサケ定置網漁業は漁獲量も大きく、北洋海域での沖採りが衰退しつつある今日、道内でも重要な漁業水域の1つになっている。なお夏期には知床半島西岸の宇登呂港から知床岬を回って、この海峡の東岸羅臼港に至る定期観光遊覧船が就航する。
4.地図 工事中
5.参考文献 角川日本地名大辞典1北海道 上巻
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