1.名称
標津町の捕鯨
2.内容
標津町においてはじめて捕鯨を開始したのは、網走管内南9条東3丁目に北洋捕鯨株式会社を設立した安藤貞三(明治32年〜昭和55年)であり、その頃、標津沖合に数多く見られた「ミンククジラ」の捕獲が目的であった。

昭和26年の春より「北洋丸」「豊洋丸」の2隻を回航し、標津沖、羅臼沖にて捕鯨が行われた。

当時は陸上の設備も不足で処理の方法は、捕獲されたクジラを曳航し、海岸に接近しながら大砲を撃って合図をし、陸揚げの準備がされた。尾羽根元にワイヤーをつけて海岸に引き寄せ、これを下地氏(現東盛運輸)のトラックによって引き揚げ作業が行われていたと云われる。陸揚げ後、乗組員である解剖長、その他戸村正直氏等十名程で解体し、本社、釧路営業所に運搬された。当時2隻で回航していたため、一日数度の陸揚げ作業をする日もあったと云われる。  

当初の捕獲数は100頭近くあり、年間売り上げは1千万円ほどであった。大半を大洋漁業に出荷され、缶詰等にされていたようだが町内では「さしみ」「たつた揚げ」「ステーキ」で食したと云われる。

昭和28年貞三の長男貞昭が学校卒業後北洋漁業に勤務し、標津町に営業所、氷倉を建設、クジラの白皮を地下タンクに塩蔵加工を行った。これは、けんちん汁に最適であったと云われる。

その頃町内においては鮭不漁の時期でもあり、「クジラ肉」は貴重な食品であり、たびたび盗難にもあった。盗難物の中には内臓など、廃棄処分されるべき物もあり、食中毒者が続出、安藤は廃棄物の「管理が悪い」ことから営業停止を余儀なくされたこともあるという。

昭和37年に動物のミンク(毛皮用)がクジラを食すということから「東亜ミンク株式会社」を併設、ミンクの飼育も行った。
 事業は続いたが、昭和41年を最後にクジラの「捕獲数減」により、ミンク飼育を終了した。
                             文責 安藤ゆう子

昭和29年度捕獲実況
北洋丸(久保田船長)   68頭
豊洋丸(小崎船長) 15頭 合計 83頭

総収入(売上)  8,300,000円
総支出(経費) 7,500,000円

差引金        800,000円

大水への出荷総額   6,026,000円
昭和30年度捕獲状況
北洋丸(前田船長)    33頭
豊洋丸(皆越船長) 20頭 合計 43頭

総収入(売上)  4,300,000円
総支出(経費) 6,500,000円

差引金     −2,200,000円

大水への出荷総額     569,561円
昭和31年度捕獲状況
北洋丸(黒石船長)    15頭
豊洋丸(川上船長) 28頭 合計 43頭

総収入(売上)  5,160,000円
総支出(経費) 6,700,000円

差引金     −1,540,000円
昭和32年度捕獲状況
北洋丸(川上船長)    34頭
豊洋丸(川上船長) 28頭 合計 62頭

総収入(売上)  7,440,000円
総支出(経費) 7,000,000円

差引金        440,000円

昭和33年度捕獲状況
北洋丸(川上船長)    18頭
豊洋丸(川上船長) 20頭 合計 38頭

総収入(売上)  4,560,000円
総支出(経費) 6,500,000円

差引金     −1,940,000円

3.写真・図版

北洋丸の船上(安藤裕子さん所蔵)


     鯨引揚のようす(安藤裕子さん所蔵)
4.参考図書
5.著者 筆者名 : 安藤ゆう子
連絡先 :
電子メール : 
執筆日 :
標津町百科事典 / {大項目} / {中項目} / {小項目} / {項目} /
標津町 (c) copyrights 2000, Town of Shibetu. All rights reserved.