1.名称 標津町年表 1700年〜1869年
2.内容

1870 明治3 5月    佐賀藩支配となる。小林重吉漁場持となる。
1870 明治3 3月13日  人馬継立所(駅逓の前身)を設け、継立の順序を定む。
1871 明治4  ―    千島三郎、鈴木佐吉漁場持となる。
1871 明治4 5月    標津、目梨2郡を仙台藩支配とする。
1871 明治4 8月    別海村より茶志骨に至る1里余の新道開削を藤野喜兵衛に請負わす。仙台藩標津、目梨郡へ日高より馬10頭を移す。
1872 明治5   藤野伊兵衛、標津、目梨両郡の漁場持となる。
1872 明治5 4月28日  標津、目梨両郡戸長に上林藤右衛門任命、歳給10円。
1872 明治5 8月19日  別海〜標津間8里47間新道完成。
1872 明治5 9月    根室出張所を改め、根室支庁と称す。
1872 明治5 9月12日  標津、目梨を仙台県より請取り、根室支庁管轄とする。
1872 明治5   漁場多寡に応じ人員を定め春秋再度、道路修理の役を漁場持に達す。
1873 明治6 6月    請願伺等の書式を定め、人民は戸長調印の上提出せしむ。
1873 明治6 7月    根室支庁出張所を野付におき、目梨、標津、野付三郡を管轄せしむ。
1873 明治6 10月    戸口調査様式を定め、寄留者、寡孤独者の調査を命ず。
1874 明治7 5月    各出張所々轄内を巡視し、道路修理に注意せしむ。
1874 明治7 9月1日  開拓使雇ヘント・ライマン地質調査のため標津へ一泊、翌日養老牛温泉を視察して斜里へ至る。
1875 明治8 3月    町村名を従来土人称呼のままの仮名であったものを本字に改める。標津郡(標津村、伊茶仁村)目梨郡(忠類村、薫別村、植別村)
1875 明治8 6月    野付出張所を廃し、支庁直轄となる。
1875 明治8 7月1日  標津郵便局開設。
1876 明治9 1月    別海、標津を経て北見へ、及別海より国後への郵便路線ひらく。
1876 明治9 3月    管内煙草規則を設け、標津外3郡は5月1日より施行す。
1876 明治9   漁業従事移住者増加、忠類に漁業増設、鮭大漁。
1876 明治9 9月    大小区画を制定、30大区、166小区とす。標津は第25大区、小4区となる。区制と同時に崎無異村の増置布達。
1877 明治10  ―    漁場持を廃し一般希望者に解放す。医師槙宗説自宅に子女を集め私塾開設。
1877 明治10  ―    標津に村役場をおく。
1878 明治11 2月    各区戸長及び総代事務扱所を区務所と改称。
1878 明治11 11月    アイヌ人を旧土人≠ニよぶよう布達。
1879 明治12 4月    総代、副総代の称を廃す。
1879 明治12 6月    各郡に戸長を配置。
1879 明治12 7月    根室郡役所の管轄となる。
1879 明治12 同月昨年公 同月昨年公布の郡区編成法により、大小区を廃し郡区町村を定む。
        戸長役場を標津に設け、標津、伊茶仁、2ケ村を統治。初代戸長、槙宗説 (4月)これをもって本町の開基としている。
        遠藤勇馬2代戸長任(6月)標津郡戸長役場と被称。
1880 明治13 3月5日  忠類川に渡船場を設く。取扱人 小桜長蔵、渡賃1人1銭。
1880 明治13 6月26日  標津郡、目梨郡へ、戸長1人配置。
1880 明治13       標津、目梨両郡戸長役場と被称、標津村、伊茶仁村、薫別村、崎無異村、忠類村、植別村の6ケ村統治。
1880 明治13       忠類より薫別に至る道路開く。
1880 明治13 7月    標津登記所開設(戸町役場内)。
1880 明治13 7月    標津に医員1名を派し、仮病院を設く。経費人民負担。
     
1882 明治15 2月8日  開拓使根室支庁を廃し、根室県をおく。
1882 明治15  ―    高橋勝包戸長任。
1883 明治16 5月    公立標津病院設置。根室警察署標津分署、創設され、門草直分署長心得着任。
1883 明治16  ―    総代人選挙法を定む(村会議員の前身)。
1883 明治16  ―    根室県、さけ・ます禁漁河川を指定し繁殖をはかる。
1884 明治17 6月15日  標津小学校開校、初等科をおく。学童10数名。
1884 明治17  ―    曹洞宗布教所創立(竜雲寺の前身)。
1884 明治17 10月13日  野付郡茶志骨村を編入。標津外6ケ村戸長役場となる。
1885 明治18  ―    新斜里山道(国道244号線)開削。
1885 明治18 9月9日  留辺斯駅逓所設置。
1885 明治18  ―    遠藤勇馬ホニコイに土着す。
1885 明治18  ―    江口港戸長任。
1885 明治18 11月    根室において根室県主催、北海道物産共進会開催。標津より海産物を出品入賞。
     
1886 明治19 1月    3県1局を廃し、北海道庁を設置、根室支庁管轄となる。
1886 明治19 6月13日  忠類川交流ソギシマップにて吉田金次郎が油井発見。
1886 明治19 7月2日  竜雲寺創設。
1886 明治19 9月    根室警察署標津分署新築落成。
1886 明治19  ―    旧土人戸籍法実施、姓名が和人と同一となる。
1887 明治20 4月1日  北海道物産税法改正され、非常な減額となる。
1887 明治20 4月    戸長役場内に分署をおき、戸長をもって分署長兼務とする。
1887 明治20  ―    薫別の人口いちじるしく増加。
1888 明治21  ―    金子仲行戸長任。
1889 明治22 1月    標津外7ケ村水産物営業組合設立(標津浜通り8番地)。
1889 明治22  ―    斜里山道大改修。
1889 明治22  ―    鮭豊漁。
1890 明治23 8月1日  御料木局札幌支庁根室出張所おかれる。管轄区域は、根室、標津、目梨3郡内の御料木(拓殖の進展に伴い国有林となる)
1890 明治23 8月10日  伊茶仁の真宗本派僧侶藤田静行私塾の認可をうけ、小学教育
1890 明治23       をなす。
1890 明治23 10月31日  公立標津病院を廃し、村医をおく。
1890 明治23 11月16日  別海及標津に電話開通。
1890 明治23  ―    真宗大谷派説教所創立(敬栄寺の前身)。
1890 明治23  ―    中川理七郎戸長任。
1891 明治24 4月16日  薫別郵便局開設。
1891 明治24  ―    土屋雄次郎戸長任。
1891 明治24 10月1日  御料木局根室出張所を標津へ移し標津出張所と称す。
1891 明治24 10月14日  戸長役場より分署を分離し、警部をもって分署長とす。
1892 明治25 3月24日  標津小学校伊茶仁分校をおく。
1892 明治25 4月1日  標津尋常小学校と改称(尋常科4年)。
1892 明治25  ―    薫別の日蓮宗僧侶日暮玄静私塾を開き子弟教育。
1892 明治25 5月    忠類において民家を買入れ、安達総一郎、読書教授を始む。
1892 明治25 10月    標津鮭人工ふ化場竣工(大正4年鱒併置)。
1893 明治26 2月16日  薫別日蓮宗説教所創立(土屋完秀)。
1893 明治26 4月    薫別巡査派出所設置。
1893 明治26 11月15日  羅臼に西井賢誠仮説教所設立。
1894 明治27 3月22日  午前7時20分根室地方に大地震あり。
1894 明治27 5月18日  標津に公設消防組をおく。
1894 明治27 6月8日  井上栄作戸長任。
1895 明治28 3月21日  加藤木繁太郎戸長任。
1895 明治28  ―    西井賢誠、児童10数名を集め読書算術教授(羅臼小学校の始)
1895 明治28 7月9日  薫別巡査駐在所に昇格。
1895 明治28 8月22日  標津尋常小学校補習科設置。
1896 明治29 6月1日  藤野罐詰所創業(標津川口)。
1896 明治29 9月8日  糸櫛別駅逓所設置(谷村龍之進)。
1897 明治30 3月27日  北海道国有未開地処分法公布。
1897 明治30 5月19日  薫別小学校開校。
1897 明治30 7月    碓氷罐詰所茶志骨工場設置。
1897 明治30  ―    鈴木鉄之助、川北温泉を開発。
1897 明治30 10月    勅令を以て従来の郡区役所を廃し、19支庁となる。
1897 明治30 11月9日  根室外9郡長松悦郎根室支庁長となる。
1898 明治31 5月19日  標津小学校補修所を廃し高等科を設置す。
1898 明治31       この年西別及び標津原野に植民地を区画す。
1899 明治32 4月1日  標津登記所を廃し、根室区裁判所標津出張所をおき、総ての登記事務を行う。
1899 明治32 5月3日  藤野罐詰所より失火、戸長役場、警察分署等類焼。
1899 明治32 6月27日  河野通功戸長任。



3.写真・図版

4.参考図書
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